ここは私の父が、白金(プラチナ)コロイド液(サイ sai)と出会い、実際に体験した情報を記しています。


幕開けその1

私の人生の様変わりのスタートです。

1998年6月19日 東京表参道のOさんの事務所に伺ったその日、人生の新たな歩みが始まりました。私が25歳から記入し始めたビジネス年表の終焉です。

 

私は石油業を主とした事業を継承して、普通のイケイケビジネスマンだったのですが、とてつもない白金のコロイド液と出合ったことから物語が起きてしまいました。

 

山口の片田舎でガソリンスタンドを営みながら、環境に良い「洗剤を使わない洗車」をやっておりました。水にとても関心をもっていた時期です。そんな時にサイが舞い込んで来たのです。

 

そのご縁をつないだのは母親の心臓手術です。2回目のオペですから、やはり今回は厳しいと思われ、最初で最後の親孝行と思い(苦笑)、何か役立つ物は無いものかと…色々と探しておりました。そんな折に広島のビジネス勉強会の講師の知り合い(東京の女性気功師)からご紹介いただいたのが、白金コロイド液です。今の製品名サイ(sai)です。当時は無名な黒い液体…。(苦笑)

 

私はそのころOリングテストにとても興味を持っており、早速サイを比較、試しました。どんな優れモノよりもこのOリングテストでは比較にならないパワーを感じたことを覚えています。

 

「こんな凄いものが世の中にあるのか・・・この正体は一体なんだ!」

 

私自身も虚弱体質で鼻喉が弱く、いつも扁桃腺をはらして抗生物質に頼っており、その副作用で悩んだいたところでした。医者からは「もう貴方に飲ませる薬はありません・・・」とまで言われている始末です。そんな私が飲んだ瞬間の体感は…「かーっと熱くなる…喉の熱感覚!」、、、、今思えば、、、、この現象こそ私の細胞に必要な充電作用が起きたときの感覚だと確信します。

 全ては自身の体感から始まりました。

 

私の飲用の感覚は、まずはそんな辺りからです…ちなみに長女の広美は…「鼻の先が光った!」です。私はうそ~!光るわけないじゃん。ところが今は光る意味も分かります。(笑)


幕開けその2

私はこれっ!と思うと、直ぐに行動するタイプです。だからとにかく皆さんに知らせたいと思うのでした。製造元では、とにもかくにも最初は「これって安全、安心な飲み物?」そこからスタートです。ですから安全性の試験ばかりやりながら、自己責任で飲みたいという方々には無料で進呈されていました。

 

飲まれた方々からもらう、体調の改善や治癒の例は様々でした。

私の友人は「不整脈で悩んでいる」「夜眠れず悩んでいる」そんな友人達はあっという間に改善しました。当然通常の治療の併用ですが、一目瞭然、サイで改善したと私は確信したものです。

 

ガンで放射線治療中の方にも渡しました、飲んで治療した時は全く体調に変化なし!その方、なぜか変化が無いことが許せないのか…「医者の言うような治療の変化が無いので、白金は要りません」…そして飲むことを止められて治療されたその日から、副作用がひどくなり入院されました。人って本当に色々だな~って思うのでした。

 

さて、私の母ですが、オペはお陰様で無事成功。心臓の弁を器械を入れずに技術で改善したようです。しかし退院してからが大変でした。術後の大量の薬剤服用による副作用で「顔色は真っ黒」行動にボケも少し混じり始めました。これはいかん!もう無理やり脅しながら今のサイ(sai)を飲ませ始めました。約1ヶ月後、顔色、肌つや、脳みそ、姿勢、完璧に回復したのです。それはそれは驚きです。思うに、薬害の防止効果、排泄「デトックス」作用と細胞を正常にするのは間違いありません!

 
これは広めるしかありません!と…心に刻む私でした。


幕開けその3

思ったら、即行動!良いのか悪いのか、私のクセです。とにかく作っている社長に会わずにおれなくなりました。私の中に決め事があります。「どんなに良いモノでも作る人、販売する人が根底にあるので、全ては人である!」…っていうようなルールが私にはあるのです。人物に会わないと納得できん!(笑)

 

1998年6月19日 東京表参道のOさんの事務所にその時は訪ねました。

アイノベックスさんの皆さんが勢揃いで迎えて下さいました。

ビシッとスーツで決めた面々…そんな中で一番上座に普段着シャツの男前の若者…???

 

第一声(名刺を出しながら…)

私 「あの~、社長さんですかぁ~」

社長「はい、すみません、こんな格好ですが私が社長です(笑)」

私の人生観が様変わりしてくスタートです!

スタッフの皆さん、普通に涼しげな顔をして穏やかに笑みを浮かべていらっしゃる時、私は一人だけ汗が滝のように流れ、暑くて暑くて汗を拭き拭きしておりました。(笑)

いわゆる波動の高い場所にいた感覚でした。

 

そして私はなぜか熱弁を社長に語るのです!

私 「私の出身地は長州の田布施です。明治維新ではありませんが、今の医療の世界は腐りきっております、この白金コロイド液ならそんな世界を変えられると思うのです!ですから、私も一緒にやらせてください!」って熱くなって話したのです。(笑)

社長「貴方は変わった面白い人ですね、一緒にやって行きましょう。」

これにてシャンシャン。

白金コロイド液(サイ sai)の社長と素晴らしいご縁が出来た瞬間です!

 

私はよく分かりませんが、この社長…大物じゃの~と思ったのです、実際本当にどでかい大人物でした。


幕開け前夜…

平成4年1月5日の午後8時頃の出来事…。西暦1992年ですね。

霊界とつながってしまいました。(笑)

笑い事では無い出来事に遭遇です。霊界のレベルにつながってしまう私でした。

 

平成3年、父が肝臓ガンになりました。突然の激痛、地元にある親戚の医者に飛び込み、すぐに総合病院、それから山大医学部にてオペ。ガンの診断・・・手術中に執刀医が「うん?おかしい、再度検査しなさい」結果は良性で手術の必要なし!でも、胆のうは切除されてしまいました。

 

父の腹はまるで十字架でした。昔の胃潰瘍の手術跡が重なっていたのでしょう。直視できません。

誤診です。それも3回も検査しての誤診です。というか、急に良性に変化したのでしょうか?

 

そして次に私に憑依のような出来事が私に起きるのです。

 

その出来事とは、いわゆる交通事故です。

人を車ではねたのです。感覚的にはねたのは間違いありません。

後から考えたら、凄いスピードで真っ白な衣装の女性らしき人が、右の車道側から飛び込んで来たのをはねたのです。スピードは常識を超えていました。

 

その女性?を避けようとすればハンドルを右に切るしかありません、同時に対向車10トントラックが迫っています。右に切ればトラックと前面から衝突…私はハンドルを固定して、そのらしき人をはねた感覚におちいったのです…。

 

事故の実態はありませんでした。

直ぐにその場に停車しました。 車は全くの無傷、当然、周囲にけが人はいません。

でも感覚的には本当にはねてしまったのです。

「一体、どうしたらええんじゃ・・・」

 

翌日から仕事が手に付かなくなりました。訳が分からないから・・・です。(>_<)

そんな時、祈祷をされるお坊さんを紹介されました。もう、分からない出来事ですから頼るしかありません。素直に行きました。

 

既に他界されていますが、四国の石鎚山の流れをくむお坊さんです。地元のお家に行きました。

大きな経本をバタバタと私の面前で開いたり閉じたり、お経を唱えながら…そして言われました。

 

「ご本家のお墓の守りを、最初お父さんに来ました、なかなか伝わらないので、今度貴方に来ています。古いお墓がチョメチョメになっていますから、チョメチョメして、毎月お墓参りをしてください。それだけで良いのです、現実が本当に良くなって来ますよ。もうここには来なくて大丈夫です。」(本家の方々は、皆さん出世され、地元から遠く離れた場所で活躍中でした。)

 

早速、初めてご本家のお墓に行ってみると…なんと!チョメチョメになっているじゃないですか!

直ぐにチョメチョメして、それから素直に毎月お墓参りを実行!本当に現実のビジネスなどスムーズに行くのでした。新しいご縁がどんどん生まれました。

 

チョメチョメですが、本当に具体的で、現場を見ないと分からない事です。時空を超えることでしか分からないような出来事でした。

 

それから5年後の1997年5月、父は他界、これまたスムーズな他界でした。実家の畳の上で安らかに逝きました。この頃は水にこっていました。創生水という水です。この創生水はアルミニウムを利用していますので、数年後にこの水からは完全撤収しました。

 

1998年、今度は母親です。母親が2度目の心臓手術をすることになりました。親孝行の物語が発展にてプラチナコロイドに出会うのですが、この手術の時、「神の手を持つ」といわれた須磨久義先生となぜかメールのやり取りが残っています。手術の相談にのってもらっています。お陰様で地元の担当医が「須磨先生をご存知なんですか!全力をあげて対応します!先生に宜しくお伝えください!」なんてことになり、良い結果をもらいました。

 

このご縁も本当に不思議です、当時は須磨先生も時間があったのでしょうか…。

遠隔地の私のメール相談に本気で対応してもらっています。名医と言われる人はやはり何か違いますね。

 

その後、石油業界の荒波に飲み込まれることなく、新規に店舗を引き継いだり、新規事業で好成績を上げることが出来、順風満帆…のような…。

 

そして、幕開けのその1となるのです。

 

霊的な出来事から6年後の1998年、プラチナコロイド(サイ)と出会います。

今は私自身が周波数を全く変えていますから、今は霊界とは無縁です。飛び込んで来る女性らしき人との怖い遭遇もあり得ません。あの頃はそんな世界にも関心を持っていたなぁ~です。(^-^;

チャンネルをどこに合わせるか!とても大切ですね。

 


岡本太郎の太陽
岡本太郎の太陽

   すそいおん → 音で作用する、たくさん連発する方が良い